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伊崎寺は山号を「姨倚耶山(いきやさん)」といい、近隣にある西国三十三所札所である長命寺と同じ山号です。長命寺から連なる山系上に立地しています。 伝承では奈良時代、修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)がここを最初に見つけられて行場としたといわれています。その折、イノシシが役行者をこの地に導いたということから「猪先(いさき)」という名になったと伝えられています。 その後、貞観年間(859〜876)に相応(そうおう)和尚が寺院を創建、自作の不動明王を安置されました。 所蔵されている仏像などから、伊崎寺は平安時代後期には存在したと推定されていますが、天台修験の拠点となったのは鎌倉時代以後と推測されています。 |
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(上)上空からみた伊崎寺(下)山門の扁額 |
慈覚大師・円仁を師とし、比叡山無動寺の開山、千日回峰行に代表される天台修験の祖として知られています。山岳修行に励み、病気平癒など加持祈祷に優れていたため、ときの朝廷・貴族からの尊崇を集め、貞観8年(866)相応和尚の奏請によって、最澄と円仁に日本最初の大師号(それぞれ伝教大師・慈覚大師)が宣下されました。相応和尚も「建立大師(こんりゅうだいし)」と尊称されています。 不動明王への信仰心が篤く、相応和尚自作の不動明王像が安置された比叡山無動寺、葛川明王院、そして伊崎寺は、回峰行者・天台修験の三大聖地と呼ばれています。 |
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「絹本着色 相応和尚像」 鎌倉時代(13世紀) 重要文化財(延暦寺蔵) |
相応和尚が葛川明王院(かつらがわみょうおういん)に籠られて、三の滝で修行中に不動明王を感得、歓喜して抱きついたところ、それは葛(かつら)の木でした。その木を三つに切って不動明王を造像し、葛川明王院、比叡山無動寺、そして伊崎寺へお祀りしたといわれています。葛川は山の中、伊崎寺は琵琶湖畔、そして比叡山は山上かつ琵琶湖の見える場所、つまり三つの寺院のちょうど扇の要(この三カ所を地図上で結んでみると、きれいな三角形になります)に位置します。伊崎寺をはじめとする三つの寺院は、相応和尚ゆかりの聖地として信仰され、大切にされてきました。 10世紀末(平安時代中期)の作といわれる伊崎寺の不動明王坐像は、2006(平成18)年に国の重要文化財の指定を受け、比叡山延暦寺の國寳殿に収蔵されています。 |
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「木造 不動明王坐像」 平安時代中期(10世紀末) 重要文化財(伊崎寺蔵) |
現在、伊崎寺本堂に安置されているご本尊は、1716〜1736(享保年間)年、8代将軍徳川吉宗が治める江戸期に奉安された不動明王坐像で、2011(平成23)年に仏師・松本明慶師によって修復が完成し、開眼供養が奉修されました。 |
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「木造 不動明王坐像」 1732(享保17)年 泉州堺住の仏師による作 |
本堂に奉納されている品々を見ると、中世から明治以降に至るまで、比叡山無動寺を中心とする天台修験と関わりが深く、戦後は千日回峰行を満行した阿闍梨が伊崎寺の住職を務めるようになりました。 上原行照(うえはら ぎょうしょう) |
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伊崎寺住職 上原行照 大行満 |